米国の高齢者


病気は一人で悩まず
自然に生まれる助け合い
 米国の田舎暮らしを経験した。オクラホマ州ウエザーフォード、人口1万人の町で、2008年4月から約1年、タウン紙の記者をさせてもらった。人々の笑顔が絶えず、サンキューという言葉があふれていた。私はたった1人の日本人であったが、顔写真付きでコラムを書いていたので、誰彼となく、声をかけてもらった。
 誰もがフレンドリーで、あまり隠し事がないことに、感心をした。タウン紙のオーナー、フリップの母親が、認知症を発症していることは周知の事実だ。
大統領選挙で当選したオバマ氏への投票率はわずか25%、共和党支持者が多数の町だが、フリップの妻のジェーンが、民主党支持者であることは誰もが知っている。オープンマインドであるから、自然に助け合いのネットワークが出来上がっていく。
 日本人の多くは病気になっても、そのことを隠したがる。サラリーマン社会では、家族の話をすることはタブーだと言われたことがある。仕事人間であればあるほど、夫婦仲が良くなかったり、子どもが学校でトラブルを起こしていたりするかもしれないからだ。弱みを見せたくないのだろう。が、その空威張りのような態度が、年間の自殺者が3万人を超えている原因になっているのではないだろうか。
 がんになったら、まっ先にがんであることを宣言することだと言われたことがある。心筋梗塞や脳卒中とは違い、対策を練る時間が十分にある。そうすれば、誰かが良い知恵を出してくれる。先日、久々に学生時代の友人にあった。娘が離婚をしてしまったという。そのことをつい会社でしゃべってしまったのだが、周りには意外と悩みを抱えている人が多いことを知ったという。抗うつ薬を服用している同僚、発達障害の息子を持つ部下などとお互いに励ましあうことができたという。
 米国の田舎暮らしから学んだオープンマインドであること、その大切さをあらためて意識させられた。
日刊工業新聞 2010年2月19日

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